「聖神中央教会」の金保牧師の暴行事件にからんで、JSCPR(日本脱カルト協会)代表理事の浅見定雄氏が、テレビで「韓国やアメリカの教会では、よくあること」とコメントしていた。浅見氏は有田芳生氏宛のメールで、さらに詳しい見解を書いている。以下、有田氏が紹介している浅見メールの全文を引用。
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(1)いちばん気になるのは、私が見た限り文字通りすべてのテレビ局が、金が牧師をしていた「聖神中央教会」のことを「教団」(私の属する日本キリスト教教団のような意味で)と見なし、「教団ぐるみ」などと言ってことです。これは危険です。「中央教会」は確かにあの教団(正式名「聖神世界宣教会総会)の本部的存在であり、その牧師「永田保」が「総会長」ではあるものの、「中央教会」はあくまで「総会」加盟の21教会の一つに過ぎません。「教団ぐるみ」などと言うとき、発言者やテレビ局や新聞社は、他の20の教会やそこの牧師も同じように「ぐるみ」であんなことをしている、と確かめたのでしょうか。どこかのテレビで、この「総会」加盟の真面目そうな韓国人(在日?)の牧師が、金のあんな行為は全然想像もしておらず、金を尊敬すべき立派な牧師だと思っていた、という趣旨の発言をしていました。オウムや統一協会のように教祖以下「教団」あるいは組織ぐるみで人権侵害や違法行為をしている「カルト団体」と、個別の教会や牧師の逸脱行為とは区別しなければいけません。
(2)次に、あの教会の少々熱狂的な礼拝のようなものは、お隣の韓国へ行けばザラに見られます。米国の「ペンテコステ」派や「リバイバル」派の教会でもたくさん見られます(子どもたちの大量失神まで行くのは希でしょうが)。あるいは、早朝の礼拝や徹夜の祈祷会のようなことも、全然、珍しいことではありません。私たち日本キリスト教団の中でも、旧教派の系列によっては、そういうことを真面目にする教会があります。また人知れず黙々とそういうことをしている敬虔な個人も大勢います。カトリックの修道院や仏教の永平寺のような所でも朝は早いですし、仏教の荒行では徹夜の護摩炊きもします。
(3)「悪魔」という言葉は聖書にも出てきますし、「地獄」に近い言葉もあります。永遠の罰とか死の意味に受け取れるような言葉もあります。中世の教会の教えや近世の魔女狩りのようなものまで考えると、キリスト教一般だってけっこうヤバイのです。どちらかというと、保守的あるいはファンダメンタルな教会の方が危険の可能性は高いかもしれません。だから私やその仲間は、そういう事柄を学問的・自己批判的に吟味して、そんなものが聖書あるいはイエスの根本精神だったかどうか、とらえ直すという作業をしている次第です。
(4)というわけで、今回の事件は、今のところはまだ永田こと金および彼とただならぬ中らしい熊谷由美江(以前は「執事」つまり役員一人でしたが、今は副牧師?)らの、卑劣かつ残酷な逸脱行為だったのだろうと私は考えます。だから、真実が明らかになるにつれ、中央教会の信者も大勢やめて行き、またこの教団(総会)の他の牧師や信徒にも動揺が起こっているのです。
(5)まだまだ書きたいことと言えば、私は事件を知ってからすぐ、金はまず、彼を尊敬し彼にあこがれていた成人女性の信者を食い物にしていたに違いない、そして次第に、嗜好が低年齢の女の子へと移って行ったのだろうとマスコミ関係者には言っておきました。
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一読して、なんとも不可解な内容だと感じた。
マスコミが「教団ぐるみの犯罪」と捉えることに疑問を呈する気持ちは、わからないでもない。確かに、そこまで断定できる材料は出ていないように思う。熱狂ぶりばかりを異常視してしまうと、全ての宗教を否定することになるし、聖神中央教会の問題構造も正確に捉えられなくなりそうだ。
しかし「犯罪」としてはともかく「問題」としては、事実上、教団単位の問題として考えるべき状況のように思う。
浅見氏は、『「中央教会」はあくまで「総会」加盟の21教会の一つに過ぎません』としているが、そんなのは形式論に過ぎない。
聖神中央教会は、強力なカリスマ性を演出する創設者がトップに立つ教団で、しかもたった22支部・1300人の組織だ(読売新聞による『キリスト教年鑑2005年版』の引用より)。たとえば日本基督教団は、「日本基督教団」のサイトに掲載されている国内の教会数は200弱で、宗教情報リサーチセンターの「宗教教団情報」では信者数10~50万人となっている。
信者数のサバ読みはこの世界の常識のようだが、あきらかに規模が違う。聖神中央教会は大規模な連合組織ではないし、事件の全体像や教会の問題構造が全てわかったわけでも、それを浅見氏が立証しているわけでもない。「加盟21教会の一つにすぎない」と言い切るのも、オウムや統一教会とは違うと言い切るのも、現状では難がある気がする。
ほかにもいろいろ言いたいことはあるが、いちばん意味不明だったのは、(4)の記述だ。
要するに、組織の問題ではなく個人の問題だと言いたらしい。でも、カルトの問題って、組織全体が積極的に自覚的に犯罪を犯したかどうかだけでないはずだ。
昨年末から先週までに脱会者が続出しているとの報道もある一方で、先週末も中央教会に30人近くの信者が礼拝に訪れたと模倣どうされている。聖神中央教会の公式サイトも復活していて、いまも金牧師の写真なんかを大々的に載せている。
もし「問題が明かになって脱会者がたくさん出ている」ことを理由に、組織には問題がなかったとするなら、いまも教会に残っている集団についてどう説明するのだろう。そもそも6年ほど前にも牧師の女性問題が内部で取り沙汰されて集団脱会があったとされているのに、残った人がいたわけだ。その上で今回の事件があるなら、なおのこと、「去って行った人」のことを根拠に組織を評価することはできない。
多くの報道が飛び交う中、ガセネタも混じっているかもしれないが、少女が親に被害を訴えても「それは祝福だ」と言われ相手にしてもらえなかったというケースを紹介している報道もあった。
あまりに逸脱した状態であっても信者が無批判になってしまうという現象は、浅見氏を含め反カルト運動関係者の多くが主張してきた「マインド・コントロール」ではないのか。宗教団体において「よくあること」を利用した犯罪が起きるなら、それはやはり個人ではなく宗教団体の問題ではないのか。
なのに浅見氏は、今回の事件をいちはやく「組織ではなく個人の問題」と断じてしまった。なんとも不思議でならない。聖神中央教会を「カルト」と区別しようという意見は意見として構わないんだけど、根拠が薄すぎる。
ちなみに、聖神中央教会の「被害者の会」代表の村上密牧師が聖神中央教会を「カルト」呼ばわりしたとかで、教会幹部が抗議をしていたらしい。
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「カルト」発言に抗議/被害者の会代表に教会幹部
2005/04/11 四国新聞社
信者の少女に乱暴したとして京都府八幡市の宗教法人聖神中央教会代表の金保容疑者(61)が逮捕された事件で、同教会の幹部が2月、被害少女のケアに当たっていた「被害者の会」の村上密代表を訪ね「(村上代表が)聖神をカルト、異教と言っているようだが、その証拠があるのか」などと抗議していたことが11日、分かった。
村上代表によると、女性幹部ら4人が2月16日、村上代表が牧師を務める京都市下京区の教会を訪問。
村上代表が「(聖神中央教会が)韓国のキリスト教では異端とされている教派の流れをくんでいる」と指摘すると、幹部らは「そんなことはない。心外だ」と否定。村上代表が信者らに「カルト」などと話したことを取り上げ、強く抗議したという。
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