自由報道協会の記者会見で自由報道協会をdisってきました。
5月22日、自由報道協会主催「サイエントロジーに関する記者会見」に会見者として出席して喋ってきました。4月10日に自由報道協会主催の記者会見でサイエントロジーの関連団体が会見した問題を報告し、自由報道協会の問題を指摘する記者会見です。
4月10日の会見の経緯や問題点は、「やや日刊カルト新聞」で記事にしているので割愛。下記を参考にしてください。
「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会(1)
「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会(2)
「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会(3)
世界唯一! 自由報道協会が「やや日刊カルト新聞社」の独占記者会見
自由報道協会が記者会見の概要を改竄して告知
5月22日のぼくらの記者会見については、上記のような改竄問題が発生し、開催前からケンカ上等な空気になっていました。
開催すると決めたのにこういうことをしたら、会見前から批判され会見でも批判され、むしろ騒ぎが大きくなに決まっています。もし最初から静かに会見開催拒否をして黙りこんでたら、「協会に対して批判的な会見はやらねえのかよ」と言われておしまいだったかもしれないのに。「ずるいのに賢くない」ってのは、悪いことしている人を見ている時より悲しくなります。
記者会見の最初の方でぼくは、この改竄問題について説明し、協会が告知した会見概要を無視して、当初こちらが協会に提出した通りの内容で会見するという説明をしました。
もともとこちらが予定していた会見は、サイエントロジーの記者会見を主催した側と報じた側の問題を報告するものです。サイエントロジーそのものの問題についても説明する必要がありましたが、それは自由報道協会が主催した会見がなぜ問題なのかという前提の説明であって、会見の主題は飽くまでも自由報道協会が主催した記者会見の問題です。しかし会見概要の改竄によって、こちらの意図とは全く逆の告知が、一般の人々や会見を取材に来た人々に伝わっていました。
会見にはサイエントロジー関連団体の「市民の人権擁護の会」の人も含め、4月10日の会見の会見者だった人々も来ていました。「市民の人権擁護の会」の人は、当然と言えば当然ですが、サイエントロジーや「市民の人権擁護の会」について自己主張し、そのことについて質問をしてきたりしました。
なもんでぼくは、「ほら、自由報道協会の告知のせいで、こういうことになっちゃった」と協会を非難。それで代表の上杉隆氏と議論になってしまいました。実は、会見が始まる前までは、こんなにきれいにに上杉氏が釣れるとは思っていなかったので、まあ結果オーライです。自由報道協会が告知した趣旨(つまりぼくらの趣旨とは違う)に沿った発言をしてくれたサイエントロジーの人に感謝。
会見場での上杉氏の発言には、発言の方法と内容の双方に問題がありました。
自由報道協会の記者会見の質疑では「一人一問」というルールがあり、会見者の言葉に質問者が言葉をかぶせることも禁じられています。これらは全て、「読売新聞事件」において、上杉隆代表を含め自由報道協会のメンバーたち自身が、読売新聞の記者を罵倒する根拠としていたものです。しかし、今回の会見での上杉氏は、自由報道協会の代表でありながら、このルールを完全に無視。いつまでもしゃべり続けるわ、かぶせるわ、挙手もせず指名もされていないのに発言する場面もあるわ。会見社が発言している最中に、上杉氏が「誰に言ってんだよ」と野次って、会見者の話が中断させられた一幕もありました。
もっとも、本来「記者会見」において「一人一問」というルールを設定すること自体がナンセンスだし、質問をめぐって議論が白熱すれば言葉をかぶせてしまう場面だってあります。上杉氏がルールを破ったのが問題というより、現実的に守れないルールを設定して、他者を罵倒する際にそれを根拠にしていたことに問題があると思います。自分でも守れないようなルールを他人に押し付けるな、って話です。
そして、上杉氏の発言の内容についてですが、これまで記事で指摘してきたものを除いた主な問題部分は、おおまかに3点ほど。
(1) やや日刊カルト新聞の取材に対して協会がコメントしたことを繰り返し、それを理由に藤倉に発言の撤回を要求。
(2) 会見概要改竄は編集権が協会にある以上問題ない、会見での発言には一切干渉していない、自由だ、と主張。
(3) 「市民の人権擁護の会」がサイエントロジーだということを事前に知った上で問題ないと考えていたと発言。
まず(1)について。そもそも取材に対する協会のコメントがおかしい(反省も再発防止の意思表示もない)から、こっちは多くの人に協会の問題を明示したいってことで、わざわざこうして会見をやっているわけです。なのに、その場でまた取材時のコメントと同じ事を繰り返したところで、ぼくが発言を撤回しなければならない根拠になりません。
っていうか、上杉氏がぼくのどの発言を撤回させたがっていたのかも、実はハッキリしませんでした。ぼくは会見でその点を上杉氏にちゃんと尋ねたけど、それでもなお明示されないまま撤回を求められたので、ぼくはずっと「????」でした。
(2)について。上杉氏が言った「編集権」というのは、文脈からすると自由報道協会のウェブサイトの編集権のことのようでした。会見内容について編集権を発動したという話ではありません。つまり、会見の告知はこっちがいじる権利があるからいじったが、会見場での発言には一切干渉してないんだから、自由報道協会の記者会見は「自由」なのだ、という理屈です。
協会の代表者が根拠のないゴリ押しで会見者に発言の撤回を要求するのは、もはや議論ではなく干渉だとぼくは思うのですが、それを抜きにしても上記の上杉理論は暴論としか言いようがありません。
告知される会見概要の細かい文言が変わっただけならまだしも、会見の趣旨も方向性も、何を批判対象としてようとしているのかという会見者のスタンスも、全てが実際と違う内容になってしまうような改竄でした。こうなると、会見社が話そうとしている内容と、会見を取材に来る人々が聞こうとしている内容とが食い違ってしまうわけです。
取材者と会見者が会見趣旨という前提を共有できなければ、質疑の会話が食い違ってしまいます。趣旨を改竄してしまうと、そもそも会見場において「趣旨に沿った質問のみ」というルールも成り立たなくなり、それによって会見者が語る内容も発言時間も左右されてしまいます。っていうか、実際に左右されました。
本来は自由報道協会の問題を主題とした会見だったのに、サイエントロジーや「市民の人権擁護の会」について自己主張したりはなしを掘り下げようとした質問者がいました。これは、自由報道協会が告知した会見趣旨には沿っていますが、こちらが協会に提出した会見の趣旨には合っていません。
上杉氏の主張はつまりは、「ウェブサイトの編集権」と「会見現場での発言の自由」を切り離して、前者はこっちの権利だから好きにやるが後者を保証してるんだから干渉してないだろ、という理屈です。しかし、実際に会見者の発言内容や発言時間が左右される事態を引き起こすような告知を行ったのですから、これはもはや干渉としか言いようがありません。ましてや、改竄は会見者への事前告知も調整もなく、無断で行われたものです。そのために、そのこと自体を限られた会見時間の中で語らなければならなくなったという意味でも、ぼくらは主催者から重大な干渉を受けました。
そしてそもそも、「編集権」というのはデマを流す権利じゃありません。自由報道協会は、実際の会見内容とは違う会見内容を一般に告知しました。その協会の代表である上杉氏は、これを「編集権」を根拠に正当化しました。それは、改竄が何かのミスではなく、協会が編集権を行使して意図的に行った行為であることを意味します。自由報道協会は、協会の責任において意図的にデマの告知をしたわけですね。
「編集権」によってデマが正当化できるのであれば、ぼくがやや日刊カルト新聞で自由報道協会や上杉氏についてどんなにひどいデマを書いても、自由報道協会や上杉氏には訂正を求める権利がないことになります。その場合、編集権は上杉氏ではなくぼくにあるんだから。でも自由報道協会って、過去にメディアに対して修正を申し入れたりしてなかったけか?(笑)
最後の(3)について。これって、けっこう重大発言。
自由報道協会事務局は取材の際、「市民の人権擁護の会」がサイエントロジーだということを把握していなかった、と回答しています。しかし代表である上杉氏は知った上で問題ないと判断し、「ほかの会員が知っていたかどうかは知らない」という。
この問題によって、2つ問題が生まれます。まず、取材に対して協会が事実を把握していなかったとしたコメントは、実は事実に反していたことになる、という点。実際は「把握していなかった」ではなく、代表者が事情を知った上で問題ないと判断して会見を開催していた。もうひとつの問題は、自由報道協会の代表は、事実を知っていても、それを会員に知らせた上で会見開催の可否の意見を募るということはしていない、という点。上杉氏が知って問題ないと判断すれば、会員たちの意見や判断はどうでもいいみたいです。すっごい北朝鮮ですね。
「知ってたよ」と言えば、上杉氏自身のメンツは保てるのかもしれませんが、それと引き換えに、自由報道協会という団体は実にいい加減で不健全であるということになってしまいます。いやあ、主要な会員たちがどんどん手を引いいていく気持ち、少しわかる気がするわ。
上杉氏の態度やこれまでの様々な騒動を見ていると、彼が引っ込みつかなくて適当なことを強弁しているのか、彼の言葉が事実なのか、どちらなのか判断がつかないってのも、面倒くさいところですね。
会見後、楽屋で少しだけ上杉氏と話しました。彼がそこで言っていたのは、こんな話。
(1) 会見での発言は自由ですから。
(2) 会見に問題があるというなら、その会見に自分で来て発言すればいい。
どちらも、会見の場で上杉氏が発言したことの繰り返し。(2)については、会見中、ぼくは「そんなこと言われたら、おかしな会見があるたびにぼくらがわざわざ来なきゃいけない。問題がある会見だと思ってるなら最初からやらないで欲しい」という趣旨のことを言いました。他人に尻拭いさせることを前提に記者会見なんか主催すんなよ。
会見場での話と同じ事しか言えない上杉氏と話しても時間の無駄なので、「はい、はい」とテキトーに相槌打って帰って来ました。
今回は、自由報道協会の問題を自由報道協会主催の記者会見で明らかにしたという点で、意味があったと思います。同時に、上杉氏と議論しても意味がないことがわかったという点でも意味がありました。いや、いままでのあれこれ見ててわかってたけどね。いちおう実証実験やったよ、ってことで。
というわけなので、今後もぼくは、自由報道協会には一切協力はしないし、自由報道協会やそこに群がる垂れ流し「ジャーナリスト」らの尻拭いのために「問題ある会見」に足を運んでやる気もありません。ぼくが面白そうだと思ったときは行くかもしれないけど、協会には興味わかない。
でも、こういう団体が「報道」だの「自由」だの「記者クラブ問題」だのを語ってるってのは、日本社会にとってマイナスなので、協会に興味はないけど協会に対する批判や、協会の実態を世の中にしらしめることは、少しはやっとくべきなんだろうなとは感じました。そういうスタンスで、今後も機会があれば自由報道協会をいじるかもしれません。