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2005年5月17日 (火)

聖神中央教会事件・元主管牧師追起訴

 永田被告を追起訴 聖神中央教会事件 別の容疑で再逮捕へ(5/16京都新聞)
 女性暴行で元牧師追起訴/別の容疑で再逮捕へ(5/16四国新聞)

 聖神中央教会の元主管牧師・金保容疑者が、女性暴行や準女性暴行などの罪で追起訴されたとのこと。
 京都新聞の記事では、容疑の内容について「元信者の女児が宗教的なマインドコントロールで抵抗できない状態で暴行されたとして」と説明している。検察とかの発表にそういう文言があったんだろうか。それとも京都新聞の取材にもとづく表現なんだろうか。
 どっちでもいいけど、そんな「イメージ的にはわかりやすい意味不明な表現」はやめてほしいもんだ。最近、密かに愛読している怪しいサイトの表現を借りれば、

いい加減にしないか!!!

 って感じだ。「宗教のマインド・コントロール」の科学的(あるいは法的な)定義って、なんかあんですか?
 いや、いまさら、そんなことに興味はない。そもそも「マインド・コントロールという手法」そのものに関する科学的定義なんてないんだから。
「これは悪いコントロールですね。宗教的ですね。じゃあ、宗教的マインド・コントロール(宗教上のよろしくない操作or影響力)ですね」
 言えてせいぜいその程度。でもそれは「悪いことである」という評価をくだしたということであって、マインド・コントロールの定義には全く結びつかない。

 ぼくが興味があるのも、そしておそらく一般向けの情報として必要なのも、「具体的にどんなコントロールだったのか」だ。裁判で問題になるのもそこだろう。「マインド・コントロール」なんて言葉は必要ない上に、「マインド・コントロールである」としか言わないなら、何も言っていないに等しい。
 悪いことだというのはイメージとしてわかるが、何がどう悪いのかは「宗教的マインド・コントロール」という言葉ではサッパリ伝わらないわけだ。そんな中身のない言葉より、「オレの相手をしないと地獄に落ちるなどと脅して女性をコントロールし」みたいな言い方をした方が、よっぽど問題の内容がわかるというもの。

 ちなみに、同じく追起訴を報じた四国新聞の記事には「マインド・コントロール」という言葉は出てきていない。

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コメント

数は少ないものの、へたに苦労していたり単立の創始者だったりする部類の牧師でこういう方は居られます。多くは考えの会わない人を罵るくらいですが、なかにはベルトや箒で殴ったり、将来のことまで上手く行かないようになると予言なさる方もおられます。今回の事件で、そういう悪い宗教者が少しでも減ってくれればいいのですが。

 そうですね。
 今回の事件、おそらく多くのメディアが殺到したのは、「聖職者とされる人間のセックス・スキャンダル」だったからなのではないかと思います。しかもそれがハッキリと「事件化」したから、マスコミが躊躇なく非難できるようになった面もあります(もともと、宗教の問題というのはそういう傾向にある)。
 でも聖神中央教会には性暴力以外の暴力もあったし、宗教全体に目を向ければ、「強姦はしないけど暴力は振るう」「暴力は振るわないが暴言は吐く」みたいな悪質宗教者もしっかり退治してほしいところですね。

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