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2006年5月31日 (水)

自己啓発セミナーの多様化をめぐるあれこれ

 グループ・ダイナミックス学会で自己啓発セミナーのシンポで、「自己啓発セミナーの語られかた~集団内の自律と他律をめぐって」という論文をちょっと批判しました。その批判ポイントを具体的に書いておきます。
 気になったのは、論文のこの辺です。

旧来のスタンダードなセミナーは大方姿を消し、目立つのはセミナーの目的を「成長」という抽象的な言葉ではなく、より実利的なものに絞ったものである。たとえばそれは、「企業の活性化」であり、就職を控えた学生に対象を絞り込んだ「就職セミナー」などによる「自己分析」である[小池 2003:25]。イベント実施やCD作成といったものもある[小久保2003a:8]。

 「就職を控えた学生に対象を絞り込んだ「就職セミナー」などによる「自己分析」である[小池 2003:25]」は、メディオスの実態から考えれば間違いです。就職を控えた学生が主対象なら、未成年の大学生がサラ金送りにされまくるわけがありません。また、メディオスは「就職セミナー」という謳い文句からして目的な具体的であるかのように見えますが、就職活動のためのスキルアップをセミナー・プログラムに盛り込んでいたわけでもなく、中身は「抽象的」な従来の自己啓発セミナーと同じです。
 「イベント実施やCD作成といったものもある[小久保2003a:8]」とありますが、それもメディオスのことでしょう。いまはやっていないようですが、メディオスのイベントやCD制作は、それぞれ新規受講生勧誘の手段であったり、卒業生向けのより高額なオプションコースでした。メインである自己啓発セミナーのプログラムには影響を与えていません。
 「語られ方」を考察するという論文の趣旨からすれば、実際のセミナー内容が具体的な結果につながるものであるかどうかではなく、目標として掲げるものが具体的であるかどうかが議論のポイントなのだと思います。しかし、メディオスの掲げる目標は単なる勧誘文句(しかもウソ)でしかないんですよね。
 以前はぼくも「目的が具体化」という捉え方はしていました。この論文の先行研究をしていた小池靖氏とも、かつてそんな会話を交わしていた記憶があります。それを考えると、気分的にはあんまり声高に「間違ってる!」とか言いにくいかも。触れている情報が古いか新しいかという差でしかないですね。ライターにとってはそれは重大なことですが、学者の時間感覚はライターとは違うっぽいし。

 メディオスに比べれば、日本創造教育研究所は、まだ「具体的」と言えるのかもしれません。いちおう具体的なスキルアップを謳って自己啓発セミナー以外の研修もやっているからです。
 でもその日創研でさえ、経営者を抱え込むための導入部であり会社の主要事業となっているのは、従来型の自己啓発セミナーのプログラム。たとえば「企業の活性化のためには、Win Win の精神が必要です」とか言って赤黒ゲームをやったって、「あなたが部下にどう見られているか考えてみてください」とか言いながらネガティブフィードバックで罵倒したって、しょせんは抽象的な精神論です。田舞代表が発行しているメルマガみたいのを読んでも、松下幸之助とかの言葉を引用した精神論で「頑張りましょう(ていうか日創研の研修受けましょう)」とか言ってるだけだったりします。
 顧客獲得のための「謳い文句」を議論の前提としてどこまで汲み取っていいものか、微妙なところですね。

 この論文に情報としての社会的価値があるとしたら、業界の多様化を改めて記述している点でしょうか。コーチングやNLPにシフトしたセミナー会社は多いので、「ビジネス・ツール」というパッケージがトレンドになって業態が多様化していることは間違いありません。
 現存するセミナーで、従来型の自己啓発セミナーをやめたという話を聞かないのは、いまさっと思いつくところではメディオス(シフトプレイス)、日創研、ASK、ETL、ウィキャン、オールウェイズ、春日言語塾、アチーブメント、ランドマーク・エデュケーションくらい。ここ10年で、従来型のセミナーどころか会社そのものがなくなっちゃったケースも多いとはいえ、かなり少数派になりつつあります。
 上記の論文は、個別の団体に関する情報が多少アバウトでありながらも、こうした業界の全体像は的確に捉えていたと思います。

 この論文でも触れられていますが、セミナー団体の業態だけではなく、「自己啓発セミナー」という言葉の捉え方もまた多様化しています。いまや「自己啓発セミナーといえばライフ・ダイナミックス」という時代でもないし、かつてのそういう時代のことなんか知らない人々が「自己啓発セミナー」という言葉を使います。それがもはやネガティブな響きだと思わない人もいるようで、自ら「自己啓発セミナー」と称してビジネスセミナーらしきものを開催しているケースもあるようです。書籍の世界では「自己啓発本」が売れまくってるみたいだし。
 ぼくが運営する「自己啓発セミナー対策ガイド」では、「ライフスプリングとestの系譜」という意味での自己啓発セミナーには含まれない、さまざまなビジネスセミナーや能力開発のイベント、セラピーなどについて相談や情報提供が寄せられます。程度の差こそあれ、相談者がそれらをある程度「自己啓発セミナー」という枠で捉えているからこそ、「自己啓発セミナー対策ガイド」というタイトルのサイトを見つけ出して相談を寄せるんでしょう。
 学問上の意義とは全く別の話になっちゃいますが、「自己啓発セミナー」を従来以上に広く捉えていかないと、社会問題としての自己啓発セミナーについて充分に語れなくなってきているなあと、最近ことあるごとに感じます。

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020:自己啓発セミナー」カテゴリの記事

コメント

藤倉さん、はじめまして。
ご批判ありがとうございます。
コメント遅くなりまして申し訳ありません。

おっしゃる通り、私の論文には情報としての価値は皆無です。
論文を参考にするしかありませんでした。
ですが、藤倉さんの定義と私の自己啓発セミナーの定義はほぼ同じで(というか、参考にさせていただきました)、メディオスが自己啓発セミナーと呼ばれるのも、「中身は結局同じ」という事実によるのだろうという認識はあったことをご理解ください。

藤倉さんのように、現在の自己啓発セミナーの実態をよくご存知の方にもお話お伺いすべきでしたね。

すいません、何故かコメント記入欄の文字が化けて非常に書きにくいので、こんな簡単なお返事で失礼します。

論文の著者 さん

 コメントありがとうございます。

> おっしゃる通り、私の論文には情報としての価値は皆無です。

 あ、いや、そこまでは言わないです。個別の団体に関する情報価値とは別に、自己啓発セミナー業界の全体的なトレンドをまとめたという価値はあると思います。ぼく自身は最近、「現場」とか「具体事例」に重きを置きすぎていて、業界全体を俯瞰する視点での情報・評論を出せていません。ぼくとちがうレベルでの評論が公開されたこと自体に意義があるわけですし。

 メディオス・日創研等々に関しては、↑の本文ですでに書いているように、ぼく自身がかつて「目的の具体化している」という捉え方はしていたし、現在でも「少なくとも謳い文句の上では、従来より具体性のある目的を掲げている」のは事実です。「語られ方」という枠内で見る限りにおいては、「謳い文句」を基準に語ることに理屈上の無理はないので、論文として問題があるというわけでもないだろうと思います。

 ぼくの批判は飽くまでも、ぼくの問題意識をもとに論文のごく一部を批判しただけで、論文が書かれた目的(本題)とか発表された場所(基本的には学者に読ませるもの、というのが前提ですよね)と違うレベルの話でもあります。なので、「論文本来の意義」にまで踏み込むつもりはありません。
 もともと、団体側の謳い文句(経典とかも含めて)をどこまで情報の前提にしていいかというのは、研究者にとって悩ましい課題なんだろうという気もします。たとえばメディオスの「目的」が単なる謳い文句でありウソ八百だとしても、団体関係者や受講生にとってのリアリティーというならウソもリアリティーの一部であり、研究テーマにはなり得るわけだし。

> 藤倉さんのように、現在の自己啓発セミナーの実態をよく
> ご存知の方にもお話お伺いすべきでしたね。

 そう言っていただけると光栄ですが、ぼくはもともと研究者ではないので、そもそも論文の上で役立つ知識や見解がどれくらいあったかどうか、ちょっと自信ないです。もちろん、今後とも、ぼくでお役に立てるようなことであれば何なりと聞いていただければ、適宜お答えしますよ。

> 何故かコメント記入欄の文字が化けて

 すいません。ココログ、ときどきおかしいんですよね。

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