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2009年2月

2009年2月 3日 (火)

「一般論で有罪」の危険性

livedoor blog 「一般論で有罪」の危険性 に掲載したものと同じ文章です。

 1月31日に、グロービート裁判の控訴審判決が出ました。右翼カルト「日本平和神軍」とかかわりがある、ラーメンチェーン「花月」運営母体のグロービートジャパン社について、橋爪氏が個人サイトで批判していたことが名誉毀損罪に問われた事件です。一審で無罪とされた橋爪氏に対して、東京高裁の判断は逆転有罪でした。

livedoorニュース/ネットの市民言論が危ない! グロービート裁判の行方(1)

平和神軍観察会

弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS-BLOG版/これは速報です-即刻上告です。

弁護士山口貴士大いに語る/【控訴審判決】グロービート・ジャパン(らあめん花月)/平和神軍観察会事件判決速報【不当判決】

 時事通信は、この件をこう報じています。

中傷書き込み、逆転有罪=ネットで名誉棄損-東京高裁
1月30日16時25分配信 時事通信

 インターネット上でラーメン店チェーン運営会社を中傷する書き込みをしたとして、名誉棄損罪に問われた会社員橋爪研吾被告(37)の控訴審判決が30日、東京高裁であり、長岡哲次裁判長は一審無罪判決を破棄、求刑通り罰金30万円を言い渡した。弁護側は上告する方針。
 長岡裁判長は「書き込みは真実ではなく、真実と誤信したことに相当な理由はない」と判断した。
 一審はネット上の個人表現について、一般に信頼性が低く、反論が容易として、可能な調査をしていれば同罪は成立しないとの新基準を示していた。控訴審判決は「さらなる社会的評価の低下を恐れて反論を控えるケースがある。内容も、必ずしも信頼性が低いとはいえない」と述べた。

 無罪となった一審判決の中で最も重要なポイントは、橋爪氏について「インターネットの個人利用者として要求される水準の事実確認を行っていた」とした部分です。いち個人に対して、マスコミと同等の責任ではなく、飽くまでも一個人でも可能な範囲の確認をするかどうかで責任を判断するというものでした。

 そのほかに、新基準を提示した理由として、インターネット上では批判された側も容易に反論できることや、ネット上の個人の表現が「一般に信頼性が低い」という点を挙げていました。最後の「信頼性が低い」という部分は、たまに冗談のように語られる「東スポの記事は誰も信じないから、東スポがウソを書いても名誉毀損にならない」みたいなパターンの話として受け止めている人もいるようです。確かに裁判所がそういう意図でこの一文を書いたのであれば問題がありますが、実際問題として、せいぜい「ネットの個人表現は、新聞・テレビほどの権威ではない」くらいのものとして受け止めておくのが妥当だと思います(とりあえず、表現をする側の立場として)。

 東京高裁の判決後の記者会見で、被告の橋爪氏の弁護人である紀藤正樹弁護士は、今回の判決が地裁判決を否定した根拠として「(ネット上で批判された側が)反論を控えるケースがある」などを挙げていたことについて、こう批判していました。

「それは一般論としては正しいが、今回のケースでは平和神軍側は大々的に反論していたし、橋爪氏に対して脅迫めいたこともしていた。そういう個別の事情を無視している」

 紀藤弁護士は、この判決を「一般的予防効果を狙ったものとしか思えない」としています。つまり、世間に対する見せしめです。

 今回の件で特に感じたのは、「一般論の危険性」です。たとえば、一般論で言うなら「誹謗中傷はいけない」わけですが、刑事裁判というのは特定の事件について有罪か無罪かを決めるものですから、この事件が「そもそも誹謗中傷なのかどうか」から検証されるべきものです。

 一審判決は、「新基準」を打ち立てるに当たって、やはり一般論を語っています。「インターネットの個人利用者として要求される水準の事実確認を行えばよい」という基準も一般論ですし、その事実確認の水準までは具体的に示していないので、抽象論とさえ言えます。ネット上では批判された側が用意に反論できるということや、「信頼性が低い」という話も一般論です。しかし一審は、22回の公判で橋爪氏のこの具体的な事情を検証して無罪としました。一般論ありきの無罪ではなく、無罪であるべき事情があると裁判所が判断し、これまでの裁判でこれを無罪にする一般論がないから新基準を打ち立てた、と捉えるべきでしょう。

 もともとこの裁判には、橋爪氏に対して脅迫めいたことをして言論妨害をしていた平和神軍側が罪に問われず、橋爪氏の方が起訴されているという、独特な事情があります。「被害者と加害者が逆転している」中で、裁判上の「加害者」であり現実の「被害者」である被告人をどう捉えるかという、名誉毀損訴訟とは違った視点での検討も必要な事件です。

 しかしたった1回の公判しか行わなかった控訴審は、一般論によって一審判決の新基準を否定し、名誉毀損に関する従来どおりの基準で橋爪氏を有罪としました。

 裁判が具体的事情の検証であるという原則から外れさえしなければ、実は一審判決の一般論はさほど恐ろしいものではありません。たとえば「ネットでは反論が容易」という新基準が確立されたとしても、ある裁判において、被害者が「自分が批判されていたなんて知らなかった」と主張すれば、その事情は当然、判断材料になるでしょう。であれば、「ネットは反論可能なメディアなのに、反論しなかった被害者が悪い」と切り捨てる、なんてことにはならないはずです。

 しかし二審が別の一般論によって一審の一般論を否定するというのは、裁判所が「一般論によって切って捨てる」危険な体質を持っていることを、東京高裁が実践的に見せてくれたということことでもあるのかもしれません。ややこしいパラドックスですが。

 個別の事情を無視して一般論を振りかざすのが裁判なのであれば、極論すれば、どんな事情があっても罪を犯したら量刑は一律。そうすると、裁判は単に「やったかやってないか」だけを判断する場になります。たとえるなら、情状酌量とかそういう概念も必要なく、死刑の執行どころか死刑の判決さえも「ベルトコンベアー」でいいって話になります。

 裁判のこうした問題点は、ネット上の表現の自由云々に限った問題ではありません。個別の事情を無視して一般論で切って捨てるというのは、「裁判」という制度自体を否定するに等しい発想です。

 という一般論的な解釈が正しいかどうかもまた、この裁判の個別の事情を見てもらわないと判断できないでしょう。橋爪氏はすでに上告を表明しています。橋爪氏を応援するしないに関わらず、少なくともフェアな裁判を望む人には、大いに関心を持ってもらいたい事件です。

被害者を加害者にする映画『純愛』

 livedoor blog 被害者を加害者にする映画『純愛』 に掲載したものと同じ文章です。

【livedoorニュース - 2009年1月26日】<偽装映画『純愛』、EXILE・ATSUSHI撤退後の皮算用(上)>

【livedoorニュース - 2009年1月27日】<偽装映画『純愛』、EXILE・ATSUSHI撤退後の皮算用(中)>

【livedoorニュース - 2009年1月28日】<偽装映画『純愛』、EXILE・ATSUSHI撤退後の皮算用(下)>

 これは2007年末から、旧オーマイニュースで繰り返しリポートしてきた、偽装映画『純愛』シリーズの続編です。この件については2003年から、ぼくが運営する個人サイトでも記事を書いていました。

小林桂子映画、クランクイン決定(2004/04/29)
小林桂子・映画企画 3ヶ月で7,000万円のカネ集め(2003/10/07)

 『純愛』はかつて、自己啓発セミナーを介してEXILE・ATSUSHIを広告塔に据えていました。そのため、架空のNPO法人を「寄付先」とうたったり協賛企業や観客を騙すようなこの映画に、多くのEXILEファンが巻き込まれました。当然ATSUSHIにも責任がありますが、ATSUSHIが架空NPO法人の設立や運営に関わったとか、協賛企業や観客を意図的に騙したという話は聞こえてきません。“主犯”は飽くまでも、同映画の制作実行委員長である奥山省吾氏と、その事実上の妻で主演女優の小林桂子氏です。ATSUSHIは、広告塔(そしてカネづる)として体よく利用されただけのようなので、ファンに対する責任はあるとは言え、基本的にはやはり被害者でしょう。

 『純愛』は、ETLジャパンという自己啓発セミナー(「ゆず」の北川悠仁の親族が実質的な経営者です)にボランティアスタッフとして関わっていた小林・奥山氏が、受講生たちからカネを集めて作った作品です。つまり自己啓発セミナー卒業生たちのサークル活動のようなもの。

 ETLジャパンも含めて、多くの自己啓発セミナーでは、受講生がセミナーの実習との名目で勧誘活動をさせられます。受講生全てが「被害者」とは言えませんが、後に被害を自覚するようになった人でも、ハマっている最中は勧誘活動に必死だったりします。ここにはいわば、「被害者が加害者を兼ねる」という、非常にやっかいな問題構造があります。

 『純愛』の広告塔を務めたEXILEのATSUSHIも、まさに加害者であり被害者です。この映画に出資して宣伝活動などに関わった出資者や協賛企業も同様です。自己啓発セミナーのサークル活動だけあって、問題の構造は非常によく似ています。その点への反省があるからこそ、ATSUSHIは『純愛』から撤退し、出資者の一部も『純愛』に批判的になっているのでしょう。ですから彼らを責める気持ちにはなれません。ただ、今後この映画に関心を持つ人々には、「被害者が加害者を兼ねる」という問題点をしっかり認識して欲しいと思います。

 『純愛』はまだ興行を続けるつもりのようで、昨年、札幌で結成された「純愛応援団」なる支援組織の拡充を目指しています。『純愛』に巻き込まれる新たな被害者が出るかもしれません。それはつまり、新たな加害者が生まれるということでもあります。

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