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2012年5月23日 (水)

自由報道協会の記者会見で自由報道協会をdisってきました。

 5月22日、自由報道協会主催「サイエントロジーに関する記者会見」に会見者として出席して喋ってきました。4月10日に自由報道協会主催の記者会見でサイエントロジーの関連団体が会見した問題を報告し、自由報道協会の問題を指摘する記者会見です。

 4月10日の会見の経緯や問題点は、「やや日刊カルト新聞」で記事にしているので割愛。下記を参考にしてください。

「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会(1)
「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会(2)
「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会(3)
世界唯一! 自由報道協会が「やや日刊カルト新聞社」の独占記者会見
自由報道協会が記者会見の概要を改竄して告知

 5月22日のぼくらの記者会見については、上記のような改竄問題が発生し、開催前からケンカ上等な空気になっていました。

 開催すると決めたのにこういうことをしたら、会見前から批判され会見でも批判され、むしろ騒ぎが大きくなに決まっています。もし最初から静かに会見開催拒否をして黙りこんでたら、「協会に対して批判的な会見はやらねえのかよ」と言われておしまいだったかもしれないのに。「ずるいのに賢くない」ってのは、悪いことしている人を見ている時より悲しくなります。

 記者会見の最初の方でぼくは、この改竄問題について説明し、協会が告知した会見概要を無視して、当初こちらが協会に提出した通りの内容で会見するという説明をしました。

 もともとこちらが予定していた会見は、サイエントロジーの記者会見を主催した側と報じた側の問題を報告するものです。サイエントロジーそのものの問題についても説明する必要がありましたが、それは自由報道協会が主催した会見がなぜ問題なのかという前提の説明であって、会見の主題は飽くまでも自由報道協会が主催した記者会見の問題です。しかし会見概要の改竄によって、こちらの意図とは全く逆の告知が、一般の人々や会見を取材に来た人々に伝わっていました。

 会見にはサイエントロジー関連団体の「市民の人権擁護の会」の人も含め、4月10日の会見の会見者だった人々も来ていました。「市民の人権擁護の会」の人は、当然と言えば当然ですが、サイエントロジーや「市民の人権擁護の会」について自己主張し、そのことについて質問をしてきたりしました。

 なもんでぼくは、「ほら、自由報道協会の告知のせいで、こういうことになっちゃった」と協会を非難。それで代表の上杉隆氏と議論になってしまいました。実は、会見が始まる前までは、こんなにきれいにに上杉氏が釣れるとは思っていなかったので、まあ結果オーライです。自由報道協会が告知した趣旨(つまりぼくらの趣旨とは違う)に沿った発言をしてくれたサイエントロジーの人に感謝。

 会見場での上杉氏の発言には、発言の方法と内容の双方に問題がありました。

 自由報道協会の記者会見の質疑では「一人一問」というルールがあり、会見者の言葉に質問者が言葉をかぶせることも禁じられています。これらは全て、「読売新聞事件」において、上杉隆代表を含め自由報道協会のメンバーたち自身が、読売新聞の記者を罵倒する根拠としていたものです。しかし、今回の会見での上杉氏は、自由報道協会の代表でありながら、このルールを完全に無視。いつまでもしゃべり続けるわ、かぶせるわ、挙手もせず指名もされていないのに発言する場面もあるわ。会見社が発言している最中に、上杉氏が「誰に言ってんだよ」と野次って、会見者の話が中断させられた一幕もありました。

 もっとも、本来「記者会見」において「一人一問」というルールを設定すること自体がナンセンスだし、質問をめぐって議論が白熱すれば言葉をかぶせてしまう場面だってあります。上杉氏がルールを破ったのが問題というより、現実的に守れないルールを設定して、他者を罵倒する際にそれを根拠にしていたことに問題があると思います。自分でも守れないようなルールを他人に押し付けるな、って話です。

 そして、上杉氏の発言の内容についてですが、これまで記事で指摘してきたものを除いた主な問題部分は、おおまかに3点ほど。

(1) やや日刊カルト新聞の取材に対して協会がコメントしたことを繰り返し、それを理由に藤倉に発言の撤回を要求。
(2) 会見概要改竄は編集権が協会にある以上問題ない、会見での発言には一切干渉していない、自由だ、と主張。
(3) 「市民の人権擁護の会」がサイエントロジーだということを事前に知った上で問題ないと考えていたと発言。

 まず(1)について。そもそも取材に対する協会のコメントがおかしい(反省も再発防止の意思表示もない)から、こっちは多くの人に協会の問題を明示したいってことで、わざわざこうして会見をやっているわけです。なのに、その場でまた取材時のコメントと同じ事を繰り返したところで、ぼくが発言を撤回しなければならない根拠になりません。

 っていうか、上杉氏がぼくのどの発言を撤回させたがっていたのかも、実はハッキリしませんでした。ぼくは会見でその点を上杉氏にちゃんと尋ねたけど、それでもなお明示されないまま撤回を求められたので、ぼくはずっと「????」でした。

 (2)について。上杉氏が言った「編集権」というのは、文脈からすると自由報道協会のウェブサイトの編集権のことのようでした。会見内容について編集権を発動したという話ではありません。つまり、会見の告知はこっちがいじる権利があるからいじったが、会見場での発言には一切干渉してないんだから、自由報道協会の記者会見は「自由」なのだ、という理屈です。

 協会の代表者が根拠のないゴリ押しで会見者に発言の撤回を要求するのは、もはや議論ではなく干渉だとぼくは思うのですが、それを抜きにしても上記の上杉理論は暴論としか言いようがありません。

 告知される会見概要の細かい文言が変わっただけならまだしも、会見の趣旨も方向性も、何を批判対象としてようとしているのかという会見者のスタンスも、全てが実際と違う内容になってしまうような改竄でした。こうなると、会見社が話そうとしている内容と、会見を取材に来る人々が聞こうとしている内容とが食い違ってしまうわけです。

 取材者と会見者が会見趣旨という前提を共有できなければ、質疑の会話が食い違ってしまいます。趣旨を改竄してしまうと、そもそも会見場において「趣旨に沿った質問のみ」というルールも成り立たなくなり、それによって会見者が語る内容も発言時間も左右されてしまいます。っていうか、実際に左右されました。

 本来は自由報道協会の問題を主題とした会見だったのに、サイエントロジーや「市民の人権擁護の会」について自己主張したりはなしを掘り下げようとした質問者がいました。これは、自由報道協会が告知した会見趣旨には沿っていますが、こちらが協会に提出した会見の趣旨には合っていません。

 上杉氏の主張はつまりは、「ウェブサイトの編集権」と「会見現場での発言の自由」を切り離して、前者はこっちの権利だから好きにやるが後者を保証してるんだから干渉してないだろ、という理屈です。しかし、実際に会見者の発言内容や発言時間が左右される事態を引き起こすような告知を行ったのですから、これはもはや干渉としか言いようがありません。ましてや、改竄は会見者への事前告知も調整もなく、無断で行われたものです。そのために、そのこと自体を限られた会見時間の中で語らなければならなくなったという意味でも、ぼくらは主催者から重大な干渉を受けました。

 そしてそもそも、「編集権」というのはデマを流す権利じゃありません。自由報道協会は、実際の会見内容とは違う会見内容を一般に告知しました。その協会の代表である上杉氏は、これを「編集権」を根拠に正当化しました。それは、改竄が何かのミスではなく、協会が編集権を行使して意図的に行った行為であることを意味します。自由報道協会は、協会の責任において意図的にデマの告知をしたわけですね。

 「編集権」によってデマが正当化できるのであれば、ぼくがやや日刊カルト新聞で自由報道協会や上杉氏についてどんなにひどいデマを書いても、自由報道協会や上杉氏には訂正を求める権利がないことになります。その場合、編集権は上杉氏ではなくぼくにあるんだから。でも自由報道協会って、過去にメディアに対して修正を申し入れたりしてなかったけか?(笑)

 最後の(3)について。これって、けっこう重大発言。

 自由報道協会事務局は取材の際、「市民の人権擁護の会」がサイエントロジーだということを把握していなかった、と回答しています。しかし代表である上杉氏は知った上で問題ないと判断し、「ほかの会員が知っていたかどうかは知らない」という。

 この問題によって、2つ問題が生まれます。まず、取材に対して協会が事実を把握していなかったとしたコメントは、実は事実に反していたことになる、という点。実際は「把握していなかった」ではなく、代表者が事情を知った上で問題ないと判断して会見を開催していた。もうひとつの問題は、自由報道協会の代表は、事実を知っていても、それを会員に知らせた上で会見開催の可否の意見を募るということはしていない、という点。上杉氏が知って問題ないと判断すれば、会員たちの意見や判断はどうでもいいみたいです。すっごい北朝鮮ですね。

 「知ってたよ」と言えば、上杉氏自身のメンツは保てるのかもしれませんが、それと引き換えに、自由報道協会という団体は実にいい加減で不健全であるということになってしまいます。いやあ、主要な会員たちがどんどん手を引いいていく気持ち、少しわかる気がするわ。

 上杉氏の態度やこれまでの様々な騒動を見ていると、彼が引っ込みつかなくて適当なことを強弁しているのか、彼の言葉が事実なのか、どちらなのか判断がつかないってのも、面倒くさいところですね。

 会見後、楽屋で少しだけ上杉氏と話しました。彼がそこで言っていたのは、こんな話。

(1) 会見での発言は自由ですから。
(2) 会見に問題があるというなら、その会見に自分で来て発言すればいい。

 どちらも、会見の場で上杉氏が発言したことの繰り返し。(2)については、会見中、ぼくは「そんなこと言われたら、おかしな会見があるたびにぼくらがわざわざ来なきゃいけない。問題がある会見だと思ってるなら最初からやらないで欲しい」という趣旨のことを言いました。他人に尻拭いさせることを前提に記者会見なんか主催すんなよ。

 会見場での話と同じ事しか言えない上杉氏と話しても時間の無駄なので、「はい、はい」とテキトーに相槌打って帰って来ました。

 今回は、自由報道協会の問題を自由報道協会主催の記者会見で明らかにしたという点で、意味があったと思います。同時に、上杉氏と議論しても意味がないことがわかったという点でも意味がありました。いや、いままでのあれこれ見ててわかってたけどね。いちおう実証実験やったよ、ってことで。

 というわけなので、今後もぼくは、自由報道協会には一切協力はしないし、自由報道協会やそこに群がる垂れ流し「ジャーナリスト」らの尻拭いのために「問題ある会見」に足を運んでやる気もありません。ぼくが面白そうだと思ったときは行くかもしれないけど、協会には興味わかない。

 でも、こういう団体が「報道」だの「自由」だの「記者クラブ問題」だのを語ってるってのは、日本社会にとってマイナスなので、協会に興味はないけど協会に対する批判や、協会の実態を世の中にしらしめることは、少しはやっとくべきなんだろうなとは感じました。そういうスタンスで、今後も機会があれば自由報道協会をいじるかもしれません。

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002:サイエントロジー」カテゴリの記事

コメント

a href じゃなくて、a fref になっているトコロがアリンス。

昨日の会見をネットで見て。

結局上杉隆は、自分のいつもの手法-嘘、デマ、捏造を指摘されたら、あれやこれや御託を並べて、論点をはぐらかし、うやむやにして退散。というパターンを自由報道協会でも行った。ということだと思います。

そうなるように、会見趣旨を改竄し、会見を混乱させ自由報道協会の責任を回避する作戦だったのではないかと思います。

犯罪者であろうが、テロリストであろうが、会見を開く自由、言論の自由の場としての自由報道協会というわけです。そういうことにすることによって、上杉が吐き続けてきた、そしてこれからもはき続けるであろう、原発事故関連の嘘、デマ、捏造が希釈されるとでも思っているようにも思えます。

とりあえず、自由報道協会が無色透明に主張を流すパイプではなく、恣意的に世論誘導を謀るデマゴーグの一角をなす、ということはよくわかりました。

しかも自分たちは「善」だとか思ってるんだとしたらカルトと構造変わらんやんとかナントカ。

すいません、リンク修正しました。

5つのリンクから3行目
誤・むしろ騒ぎが大きくなに
正・むしろ騒ぎが大きくなるに

上杉さんが野次ってるって段落に
誤・会見社が発言している最中に
正・会見者が発言している最中に
ですね。

上杉さんは野次ったりしてお里が知れますね。

会見動画拝見いたしました。
とても気力のいる会見だったと思います。本当におつかれさまでした。

感想として、
やはり、上杉氏の「公共性」についての考えが甘すぎるのかな、と感じました。

制約のゆるい“準アナーキー”な場を準備すれば、偏りのない自由な言論が、自動的に実現されると考えられている点が、とてもナイーヴだなと感じました。
それでは、声に力のある者(情報力強者≒権力者)が最終的に勝利をおさめる、洗脳合戦の場になってしまうおそれがあります。

言論市場の情報量格差を、公平な在り方へと是正できない。逆に、「自由報道協会」の看板を悪用されてしまうおそれさえあります。

しかし、上杉氏に、そうした懸念への理解がまったくないわけではないと思います。
自由報道協会が、「商業的スピーチ」の制限を規約としてもりこまれている理由も、上杉氏らがそうした懸念を理解されているからこそだと思います。

自己利益の拡大や自己勢力の拡張など、私的な諸意図自体は、自由報道協会があえて擁護すべき対象ではありません。
私的な諸意図を公平に保障する、公平な言論空間(フォーラム)こそ、自由報道協会が擁護し、実現をめざすべき対象であるはずです。


「言論の自由」、というワードを持ち出すタイミングも、上杉氏はまちがえておられたと思います。
そのワードは、「公私の二分」が承認された後で出されるべきものです(前ではなく!)。

ある宗教団体やその関連団体が、自らが特殊な信仰をもっていることを前提として(自分の信仰の“外”の世界が存在する & 存在の権利があることを自覚したうえで)、日本国という公共空間のなかで発言したいというなら、われわれは何人も、それを妨げてはならないと思います。

そこではじめて、「言論の自由」です。
これが憲法理念の構造だと思います。

もちろん、「なにが私的でなにが公的であるか」という“線引き”をするための基準については、いろいろな議論があると思います。
その点は、おおいに議論されるべきです。

しかし、カルト宗教は、そもそも私的・公的の“線引き”自体を拒否します。
カルト教団やその思想の成立過程を考えれば、自然とそうなるのも、うなづけます。
民主的な手続によってではなく、教祖という私人の思想を、信者が全的なものとして受け入れる。すると、教団の信者たちは、『私的・即・公的』と考えることになる。
私的な空間で、すべての意思決定や認識が閉じてしまっています。

教団の信者の人びとは、そこから観える世界の外に、公の世界があることを実感として知りません。
いや、理屈として「存在する」ことを分かっていたとしても、それらに「存在する権利」があることが分かりません。
世界の外は、かれらの宇宙の拡大の途上に、啓蒙の対象としてのみ、ただ「存在する」だけです。

すると当然、彼らの世界観・宇宙観は、日本国の憲法理念・憲法秩序とは相いれません。
そのようなものは、日本国の市民であるならば、本来当然に否定すべきものです。

そしてそのあたりに、藤倉主筆が「ほぼ日」で、カルト・バスターをつづけておられる理由があるのだと思います。
(本来藤倉さんらの立場は、何ら奇異なものではないはずです。
日本国の『市民』として、憲法の理念をまもることは、われわれ日本人すべての、当然の義務であるはずです。
しかしゲンジツは悲しいかな、日本教≠日本国憲法理念……(山本七平流に)。
もちろんこの点について、私も、スネに傷を負う身だと思っております。藤倉さんらの活動に敬意を表するとともに、市民としての責任を十分に果たせていない自分をかえりみて恥じるところ大です……。)


上杉氏に、公の理念がなかったわけではないと思います。ただ、ナイーブすぎた。
そのナイーブさを外部から批判され、上杉氏のパブリック・マインドではなく、自我(私)が応答してしまった。
パブリックな構想を目指す人格ではなく、自我防衛の機構がはたらいてしまった。
そして、自我防衛のための、価値相対主義に陥ってしまっている。混沌(カオス)です。


さいごに、上杉氏の擁護を。
上杉氏の自我のはたらきが必ずしも公共にとって純粋に害悪であるとは言い切れないかもしれません。公共にとって良い面もあったと思います。

人類の歴史上、それまでにないとんでもない構想は、しばしば子供じみた巨大なエゴの助けによって実現されてきたところがあると思います。
いやしくも人間ならば、公に理念を掲げて打ち立てたカンバンの裏に、多少の虚栄心が潜んでいるものでしょう。けれども、そのスケベ心も、仕事をするうえでのモチベーションになる、というのも、人間の真実のひとつだと思います。

いずれにせよ上杉氏は、公の理念を掲げた「自由報道協会」という、いままでになかった場をつくった。“いれもの”をつくった。
その一点については曇りのない事実であり、上杉氏の功績だと思います。
会見で紀藤弁護士が評価をされていたのも、その点だと思います。

しかし、自由報道協会が、いつまでも上杉氏のプライヴェートな所有物であってはだめです。
いい歳して、オモテで堂々とスケベはだめです。紀藤弁護士も失望されてしまうと思います。

私的な財物は、それを所有する者が亡くなれば、その墓に一緒に埋められてしまいます。
上杉氏の死とともに、せっかくの場までもが埋められてしまうのはもったいない。

資力のないジャーナリストでも、公にむけて情報を発信できる場、
欧米にさえまだ存在しない、世界に唯一の自由な言論の場となれるポテンシャルをもっている。
いれものごと葬り去られるのは、やはりもったいないと思います。魂が宿るのを、もう少し待ってみたい気もします(この点でわたしは、藤倉主筆よりもやや紀藤弁護士寄りの、楽観的な立場かもしれません)。

ほんとうに上杉氏には、自由報道協会を、社会に後見される存在として筋道をつけることを、より真剣に考えていただきたいです。

自我の抑制 or 大我への昇華!

具体的には、自由報道協会の“公器”としての役割を再認識すること。
あるいは、公共性の認識をたもつ自信や集中力が無いと感じられたなら、自由報道協会を、だれか他の有志に委ねて身を引くこと。

それらがむりなら、残念なことです。
日本人は、21世紀になってもまだ、市民として立つには早かったということです。

(藤倉主筆の仕事は続きます……。)

たまたま、会見をネットで見ました。藤倉さんがそれほど怒る必要があるのかという印象です。タイトルの変更が気に食わなければ出席しなければよかったのでは? 自由報道協会は場を提供しているというだけで十分ではないですか?犯罪者やテロリストも出るのは困るといわれますが、「小沢さん」は世の中では「犯罪者」扱いですよ。シリアの反政府組織も「テロリスト」ですよ。北朝鮮は犯罪者だから、いかなる会見の場にもだすなということですか?会見の場に誰でもだしてそれでことの本質を世に知らしめればいいのではないかと思いますよ。

アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!

藤倉さん、It○iさん、ごめんなさい…。
ほぼ日→やや日

細かいことを指摘されるくらいには大きくなっちゃったんだね自由報道協会
有名税って嫌いなんだよなー
影響力を考えろって言い方は雑すぎる
影響されるバカが多いってことを前提にしすぎていて、上から目線だよなー

記者会見なのに、質問じゃなくて抗議をはじめちゃう無法地帯っぷりがすごい。

特に上杉氏。
記者の席から記者会見を仕切る仕切る。

いきなりゲストスピーカーに向かって「訂正しろ」ってのがすごい。
でも他の質問者と違って、これが本題なんでしょ。
なのに不穏な空気を感じて司会者は切り上げようとするわ、
上杉氏は形勢不利になったとたんに「また後で」とか逃げるわ。

最後でも自分から手をあげちゃって、誰もそんなこと聞いてないのに、
「ゲストスピーカーから質問されたので」
とか勝手に宣言して、言いたいことを回答しはじめちゃったり。
もう、まるでコントみたい。

お世話になります。不躾ですいません。

キャノングローバル戦略研究所の記事
カンボジア医療視察報告
2012.03.28
http://www.canon-igs.org/column/macroeconomics/20120328_1305.html
上記は、キャノンが出資するきちんとしたシンクタンクのサイトですので、是非ご覧ください。

ワールドメイト(教祖 深見東州)は、ホームページにてシアヌーク病院への支援を宣言していますが、
2011年の東日本大震災以降、資金援助を打ち切っています。
会員は事実を知らされないまま、毎月の口座引き落としで会費を払っています。
そんな中、深見教祖は、数億円の賞金を出して「ハンダ カップ」なるゴルフコンペを海外で開催しています。
人の命よりも、売名行為を選んだ教祖 本名・半田晴久。

現会員や、これから入会を勧誘される一般の方々に事実をお知らせしたくてメールいたしました。

ワールドメイトは、シアヌーク病院に金を送っていないさんへ


キャノングローバル戦略研究所に所属する人が書いた記事には、誤りがあるそうですよ。

ワールドメイトは、シアヌーク病院への寄付は継続してるそうです。
公式サイトを見ても、継続してるとなってますし、知ってる人に聞いたら間違いなく継続してるってことのようです。

カンボジアでの取材だろうし、通訳がへんだとかなにか事情があるのではないでしょうかね。
なにか混同でもあったのではないですか。


半田晴久氏を悪くいうでないよ。
ブラインドゴルフがパラリンピックの競技種目に加えられるように頑張っているようです。
http://www.reuters.com/article/2012/06/29/oly-para-golf-tournament-idUSL4E8G749Y20120629

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